弁護士法人ベトホ(BETOHO LAWFIRM)代表弁護士 BUI HONG DUONG 氏にご執筆いただいた連載「ベトナムで製造拠点を確保する前に知っておきたいこと」をお届けします。
これまでは、レンタル工場と、土地を借りて自社工場を建てる方法との違い、投資許可取得後に締結する正式な土地賃貸借契約で投資家が持つ権利の範囲、そしてこの段階で実際に起きやすい五つの紛争パターンについて解説いただきました。
ベトナムで製造拠点を確保する前に知っておきたいこと
レンタル工場か、土地を借りて自社工場を建てるか、MOUの法的性質
正式な土地賃貸借契約と、起きやすい五つの紛争
今回は、その選択肢をさらに広げ、他の企業が保有する既存工場や土地に関する権利を取得する方法、すなわち「既存工場の取得とM&A」を取り上げていただきます。会社の株式・持分を取得するのか、必要な資産だけを取得するのかという取引方法の選び方から、工業団地との契約条件、既存プロジェクトの承継、建築・消防・環境条件の適合性、そして検討開始から取得完了までの6段階の進め方まで、実務上の論点を比較表・工程表とあわせて整理いただきました。
ベトナムで製造拠点を確保する前に知っておきたいこと(第3回)
― 既存工場の取得とM&Aを第三の選択肢として考える ―
前回は、ベトナムで製造拠点を確保する方法として、レンタル工場を借りる方法と、工業団地等で土地を借りて自社工場を建設する方法を取り上げました。今回は、その選択肢を広げ、他の企業が保有する既存工場や土地に関する権利を取得する方法を考えます。
既存の建物やインフラを自社の生産計画に活用できれば、新たに建設する場合と比べて、準備期間や初期投資を抑えられる可能性があります。事業の再編や移転を考える売主と、新たな拠点を求める買主の計画が合えば、双方にとって合理的な取引となります。
その際に大切なのは、取得したいものが、会社全体なのか、投資プロジェクトなのか、それとも土地使用権と工場などの資産なのかを明確にすることです。本稿では、主に工業団地内の既存工場を対象として、取引方法の選び方と、検討から取得に至るまでの実務上の論点を整理します。
1 既存工場が売りに出される背景を理解する
売主が工場を手放す理由はさまざまです。ベトナム国内企業が、土地を確保した後に事業計画を変更する場合もあれば、操業中の事業を見直し、別の分野へ資金を振り向ける場合もあります。外国企業も、グループ全体の投資方針や資金回収の計画に応じて、現地資産の売却を検討します。
日系企業でも、より広い敷地への移転、主要な取引先や供給網に近い場所への集約、採算の見直しなどが売却の契機となります。日本本社の経営者の高齢化や後継者の不在を背景に、海外資産を段階的に整理することもあります。売却の事情を理解すると、その物件が自社に合うかだけでなく、売主が価格、入金時期、引渡し時期のどれを重視しているかも見えてきます。
例えば、移転先の工場が完成するまで現在の工場を使いたい売主と、早期の資金回収を優先する売主では、合意しやすい条件が異なります。最初の段階で売却理由と希望日程を確認し、買主の操業計画と両立できるかを考えることが、具体的な交渉の出発点になります。
2 会社を取得するか 必要な資産を取得するか
既存の製造拠点を取得する取引は、会社の株式・持分を取得する方法と、必要な資産を個別に取得する方法に大きく分けられます。さらに、会社を取得せず、投資プロジェクトの全部または一部を譲り受ける方法もあり、資産の売買とプロジェクトの承継は区別して検討する必要があります。
| 比較項目 | 株式・持分の取得 | 資産の取得 |
|---|---|---|
| 主な取得対象 | 工場等を保有する会社の株式・持分 | 土地使用権等、工場、付帯設備など特定の資産 |
| 事業との関係 | 会社を存続させ、既存事業の継続を図る | 取得した資産を買主の事業に組み込む |
| 確認の範囲 | 会社全体の法務、財務、税務、労務、取引関係 | 対象資産の権利、許認可、技術条件と移転に関係する債務 |
| 取得の目的 | 顧客、従業員、契約、事業基盤も含めて取得する | 必要な場所と工場を確保し、自社の事業を行う |
株式・持分を取得する場合、土地や工場の保有主体は原則として同じ会社のままです。その会社には、過去の税務、労務、借入れ、第三者との契約などに関する義務も残ります。これらが買主自身の債務に一律に変わるわけではありませんが、取得後の会社の支出や事業価値を通じて、買主に経済的な影響が及びます。調査や補償条項の検討も、会社全体を対象に進める必要があります。
そのため、目的が土地と工場の確保に限られるのであれば、私たちはまず、必要な資産を切り分けて取得できるかを検討することを勧めています。顧客基盤や人材を含む既存事業に価値がある場合には、会社取得が適することもあります。取得目的に応じて、調査の範囲と引き受ける責任を選ぶという考え方です。
資産取得でも、担保、未払費用、第三者の使用権、建物の法令適合性、環境上の問題などの確認は必要です。対象資産に関係する問題までなくなるわけではありませんが、売主の他の事業から切り分けて、検討対象を整理しやすくなります。
3 資産として取得できる範囲と三つの確認事項
ベトナムで取得するのは、土地そのものの所有権ではなく、土地使用権または契約上の賃借に関する権利と、工場等の所有権です。2024年土地法は、工業団地内の土地について、一定の条件の下で外資企業による土地使用権の取得や譲渡を認めています。ただし、全賃借期間分を一括払いしている場合と年払いの場合では、移転できる権利と条件が異なります。
まず、土地使用権等の証明書、土地の賃貸借・転貸借契約、賃料の支払証憑を照合し、売主が何を保有し、買主へ何を移転できるかを確定します。建物の登録、残存使用期間、担保や差押え、未履行の金銭債務も確認します。建物がまだ完成していない案件では、完成済み工場と同じ資産売買ができるとは限らず、プロジェクト譲渡など別の方法も検討します。
■工業団地との契約条件と書面による確認
最初に確認する必要があるのは、売主と工業団地のインフラ事業者との契約です。そこには、第三者への譲渡に関する事前同意、譲受人の条件、手続費用などが定められている場合があります。土地の安定した利用や事業計画の管理を目的とする条件もあり、法令上の譲渡権限を確認したうえで、契約上必要な対応を整理します。
契約に制限がある場合は、その適用範囲と有効性を確認し、必要な同意や免除を取得します。多額の代金を支払う前に、今回の譲渡を受け入れるか、土地契約をどのように承継または再締結するか、期間・料金・未払費用をどう扱うかについて、インフラ事業者から明確な書面を得ておくことが重要です。売主の口頭説明だけでなく、売主、買主、インフラ事業者の三者間で条件をそろえることで、その後の手続を進めやすくなります。
■既存プロジェクトと買主の新しい事業の接続
次に、その場所で買主が予定する事業を行えるかを確認します。製品や製造工程、生産規模、投資家に適用される条件、工業団地の受入れ業種などを具体化し、既存プロジェクトの資料と比較します。売主が操業できていたことだけでは、買主の新しい事業まで認められるとは限りません。
資産を取得して新規プロジェクトを実施する場合には、売主側の既存プロジェクトの変更や終了と、買主側の登録・許認可を整合させます。一方、既存プロジェクト自体を譲り受ける場合には、譲渡条件とプロジェクトの変更手続を検討します。投資法上もプロジェクト譲渡の仕組みがあり、すべての案件で旧プロジェクトを終了させて新規登録するわけではありません。
実務では、既存プロジェクトをいつ、どの範囲で整理し、買主がどの書類を使って申請するかを、管轄機関と事前に確認します。売主のプロジェクトを先に終了させた結果、土地の扱いや買主の申請に支障が生じないよう、権利移転と投資手続を一つの日程にまとめることが大切です。インフラ事業者の受入れ確認と、行政機関による許認可は、それぞれ確認する必要があります。
■配置計画と建築 消防 環境条件の適合性
三つ目は、既存工場を新しい生産計画に合わせられるかという点です。敷地全体の配置計画や詳細計画、建物用途、増改築の可否に加え、床荷重、天井高、搬入経路、電力、給排水、排水処理能力などを確認します。既存の建設、消防、環境に関する書類は、承認図面と現況を照合して評価します。
例えば、生産工程の変更によって排水の性質や量が変わる場合、工場内の設備改修だけで対応できるのか、工業団地側の処理能力や許可条件の変更まで必要なのかで、費用と期間は大きく異なります。配置計画や関連許認可の変更は、買主と売主だけで決められるものではありません。設計・技術の専門家と管轄機関への確認を通じて、変更の可否と必要な手続を見極めます。
既存設備や取得済みの書類を活用できることは、この方法の大きな利点です。その利点を投資計画に織り込むには、継続利用できるもの、変更が必要なもの、新たに取得すべき許認可を分けておくと判断しやすくなります。
4 検討開始から取得完了までの進め方
以下は、会社を取得せず、工場等の資産を取得して買主の事業を行う場合の代表的な進め方です。既存プロジェクトの譲渡を選ぶ場合や、買主がすでにベトナム法人を持つ場合には、必要な手続と順序を調整します。初期確認、専門調査、関係者との協議は、相互の依存関係を確認したうえで並行して進められます。
| 段階 | 主な作業 | 次に進むために確認すること |
|---|---|---|
| 1 初期検討 | 取得目的、対象資産、売却理由、最終譲受人を整理 | 取得方法と買主の事業計画が合っている |
| 2 基本合意 | 初期資料を確認し、MOUと調査条件を合意 | 拘束力、独占交渉、預託金、撤退条件が明確である |
| 3 専門調査 | 法務・技術・環境を調査し、必要な税務・労務事項も確認 | 是正事項と追加費用を把握し、取得可否を判断できる |
| 4 関係者調整 | インフラ事業者・管轄機関と協議し、必要な三者合意を形成 | 土地契約と新旧プロジェクトの処理方針が整っている |
| 5 投資手続 | 必要な法人設立、投資登録・変更等を実施 | 正式な取得主体と必要な投資上の条件が整っている |
| 6 正式契約 | 前提条件を確認し、正式契約を締結。必要な公証等を実施 | 支払、権利移転、引渡しの条件を満たしている |
| 7 引渡し等 | 税務処理、担保解除、現物・原本の引渡し、土地契約の承継等 | 必要書類、対象資産、インフラ利用関係が引き渡される |
| 8 完了確認 | 必要な変更登記・証明書の名義変更、残代金の精算 | 合意した権利取得の完了を確認できる |
最終的な譲受人を早期に決めることも重要です。日本本社がMOUを締結し、後に設立するベトナム法人が資産を取得するのであれば、契約上の地位の移転、支払済み金額の扱い、売主の同意をMOUに組み込みます。法人設立と投資登録の順序は適用制度に従って設計し、過去の案件の日程をそのまま当てはめないようにします。
また、資産取得の完了と操業開始は、別々の到達点として管理します。改修や設備の設置、買主の事業に必要な許認可を終え、電力・水等の利用条件を整えた段階で、予定する生産を開始できるかを確認します。
5 価格とスピードを投資全体の中で評価する
既存工場の取得は、初期投資を抑える有力な方法ですが、売買価格だけで有利・不利を判断することはできません。取得に伴う費用、改修・設備更新、許認可の変更、操業までの維持費を含め、実際に生産を始めるまでの総額で、新規建設やレンタル工場と比較します。土地の残存使用期間と、その期間内で投資を回収できるかも評価に含めます。
一方、売主が資金の再配分や撤退の日程を重視している場合、買主が実行可能な手続と資金調達の見通しを示せることは、交渉上の強みになります。必要資料を早く示し、調査担当者と社内決裁者を決め、確認後に速やかに判断できる体制を用意すれば、売主も入金時期を見通しやすくなります。その確実性が、価格や支払条件の調整につながることがあります。
この場合も、必要な調査は予定に組み込みます。初期資料の段階で取得方法を整理し、法務・技術の確認を並行させ、判断に必要な論点を早く絞ることで、取引の速度を高められます。売主が必要とする時期と買主が法的に実行できる時期が合えば、双方が納得できる条件を作りやすくなります。
6 弁護士と取引全体を調整する担当者の役割
■弁護士には初期段階から取引方法の設計を求める
弁護士は、売主の権利や法的条件を確認するとともに、資産の取得、投資プロジェクト、土地契約、支払を整合させる役割を担います。類似の工場取得や工業団地内の取引を扱った経験があれば、契約交渉と行政手続をつなげ、どの条件を先に確認すべきかを整理しやすくなります。
価格とMOUの条件が固まる前から関与してもらい、買主を依頼者としてどこまで調査し、交渉と実行を支援するかを明確にします。建物の技術的な適合性や税務判断は、それぞれの専門家と連携して確認します。早期に役割を決めることで、後から取引方法を組み直す負担を減らせます。
■総合アドバイザーには調整能力と報酬関係の透明性を求める
工場の取得には、売主、買主、インフラ事業者、専門家、行政機関など多くの関係者が関わります。候補物件の紹介に加え、資料の収集、日程の管理、日越双方の意思疎通、専門機関との連絡を担う総合アドバイザーがいると、取引全体を進めやすくなります。選定時には、類似案件の経験と、手続の担当者をつなぐ調整能力を確認します。
総合アドバイザーが仲介業務も行う場合は、誰の依頼で動き、誰から報酬を受けるのか、双方から受領するのか、成功報酬の発生条件は何かを確認します。報酬の支払者や取引成立への利害は、提案や調整の方向に影響し得ます。その関係を明らかにしたうえで、買主自身の事業判断と、買主の利益を確認する専門家の役割を確保しておくことが大切です。
仲介者が常に中立であることを前提にする必要はありません。担当する業務、報告先、判断権限を明確にし、弁護士と総合アドバイザーが同じ手続表と論点一覧を共有できれば、役割の重複や確認漏れを減らしながら交渉を進められます。
おわりに 三つの方法を並行して比較する
既存工場の取得は、偶然よい案件を紹介されたときだけ検討する方法に限られません。売却や再編を考える企業があり、新たな製造拠点を必要とする企業もあります。レンタル工場、土地を借りて自社工場を建設する方法と並べて、当初から候補を探す価値のある選択肢です。
そのためには、必要面積、立地、生産工程、電力・排水条件、操業開始時期、投資予算を先に整理し、その条件に合う既存工場も探索対象に含めます。価格に加えて、改修後の使いやすさ、利用できる残存期間、手続の見通しを同じ基準で比べれば、自社にとっての経済合理性を判断しやすくなります。
売主の計画を理解し、必要な権利と条件を早期に確認できれば、既存の建物やインフラを生かしながら、新しい生産体制を整えることができます。既存工場の取得を第三の選択肢として持つことは、ベトナムでの拠点づくりに、より広い可能性をもたらします。